« 小田さくらさん追記 | トップページ | ステーシーズ 少女再殺全談 »

ステーシーズ 少女再殺歌劇

Stay


モーニング娘。出演「ステーシーズ 少女再殺歌劇」のDVDを見ました。

これを見ようと思った理由は、もちろんモーニング娘。が出演していたということもありますが、最大の理由は原作が大槻ケンヂさんだったからです。

筋肉少女帯のボーカル兼詩人であり、作家でもある大槻ケンヂさんが好きで、彼の作品を劇化したものを見てみたかったわけです。

原作の「ステーシーズ 少女再殺全談」は、まだ読んだことがありません。現在注文中で、届き次第読む予定です。

この辺の原作と舞台の違いを見つけるのも楽しみの一つであったりします。

 

ここから、ストーリーのネタバレするのでご注意ください。

 

14~16歳の少女が突然ゾンビになってしまうという謎の現象がおこり、彼女たちのことをステーシーと呼びます。

ステーシーを切り刻むことによって、もう一度殺す「再殺」すれば死に至ります。

ステーシーになる前に、多幸感に包まれて笑いがたえない状態「ニアデス・ハピネス」に陥り、その後一度目の死が訪れ、ステーシーと化します。

ステーシー再殺法なる法律が制定されている世の中の設定で、ステーシー化した少女は再殺しても良いことになっています。

また再殺部隊という武装集団もいます。

 

この話の中核を占めているのは、愛する人がステーシーとなるだけでなく、その人を自らの手で殺さなくてはならない悲哀です。

話の中で何度も中原中也の詩、

「愛する人が死んだら 自殺しなけりゃなりません」

を引用しているとおり、愛する人の死というものは辛く悲しいものであります。

それが親子、姉妹、恋人、友人、いずれの関係性においてもです。

愛するステーシーを再殺して、痛みの記憶が残り続け、その苦しみから逃れるために再殺部隊に志願し、ひたすらステーシーを再殺する男の悲劇が描かれているのが舞台のメインテーマです。

他にもいくつかエピソードが分かれていて、一回見ただけでは、ちょっと分かりにくい内容になっています。

 

愛する人がゾンビ化して、その人を苦渋しながら殺さなくてはならないジレンマというのは、すでに1970年代の海外ゾンビ映画でも見られます。

ですから、この「ステーシーズ」は特に目新しいことをしているわけではありません。

しかし、この話が特殊なのは「14~16歳の少女」がステーシー化してしまうという点です。

少女の一番輝いている時期に、一番醜いステーシーになってしまうところが悲しいのです。

ですが、劇中歌にもあるとおり、「老いて醜くなるくらいなら、今死んでしまったほうがいい」の言葉が重く感じられます。

美しい少女からすると、老いさらばえて死を迎えるのがいいのか、美しいまま愛する人に殺されるのがいいのか、究極の選択だと思います。

 

なぜ少女たちがステーシーとなるのか? 真相は謎ですが、話の序盤では神様の気まぐれないたずらとあります。

しかし話の後半で「地獄は罪人で溢れこの世にさまよいだした。この世は溢れ出した地獄」というセリフがあります。これがメインテーマではないでしょうが、犯罪の増えた現代社会への警鐘とも受け取れます。

 

話の後半になると、生ける屍のはずのステーシーたちが突如しゃべりだします。

心を持たないはずのステーシーが心を持ったことにより、再殺部隊は動揺します。

今まで心を持たないステーシーだから虫けら同然に再殺できたのに、心を持ったとわかったとたん再殺することが怖くなります。

ここら辺に、生きていることと、死んでいることの定義があやふやになる狂気が潜んでいます。

生きているものが死ねば悲しいし、できることならもう一度息を吹き返して欲しいと願うのは、愛する人なら誰しも思うはずです。

しかし、本当に生き返ってステーシー化してしまったら? 愛する気持ちは消え失せ、一変、恐怖と変わるはずです。

では、そのステーシーに心があってしゃべりだしたら??

ここに「愛」とはなんなのか? と問いかけるテーマがあると思います。

 

話の終盤、しゃべるステーシー化した女の子と、彼女を愛する同級生が、再殺部隊から逃亡する場面があります。

愛する人がステーシー化してもなお、愛を持ち続けることのできた事例です。

ここでステーシーと人間の共生はありえるのか? という新たなテーマが出てきます。

ステーシー曰く「わたしたちはアダムとイブとなり、あなたの子を産む。その子は新しい世界の道しるべになる」

これが果たして、ハッピーエンドなのかは分かりませんが、ひとつの道だと思わされます。

 

人の死とはなんなのか? 愛する人を殺すことの苦しみ。死を超えた愛情、といった様々なテーマに彩られた内容で、とても考えさせられる話でした。

でも一番辛いのは14~16歳の少女が突如ステーシーと化してしまうという設定が悲しすぎます。一番輝いている時に一番醜くなってしまうところに絶望感が待っているからです。そしてその前段階として、ニアデス・ハピネスという幸福感に包まれた期間がある、というのがさらに悲しみを深いものにしています。

 

 

さて、モーニング娘。の演技ですが、まずまずの内容でした。

目立っているメンバーとそうでないメンバーにハッキリと分かれてしまいますが、そこは仕方ないかなという感じ。

10期メンバーなどまだ演技をするだけで精一杯でしょうから。

そんな中エッグ時代から舞台経験のある工藤遥さんが奮闘していました。最年少なのに頑張ってましたね。

田中れいなさんクラスになると、慣れたもので安定してました。

鞘師里保さんが頑張っていました。歌劇とあるだけあって、メインで歌う場面もあり、かなりの待遇でしたね。

今回、「モーニング娘。出演」、ということで見たわけですが、違うキャストでやった場合も見てみたいと思ってしまいました。

 

音楽担当は和田俊輔さんという方でしたが、大槻ケンヂさんへのオマージュなのか、ギターサウンドの強いハードロック調の曲が多かったです。

細かいところですが、ここの部分だけでも楽しかったです。

|

« 小田さくらさん追記 | トップページ | ステーシーズ 少女再殺全談 »

 ハロプロその他の話題」カテゴリの記事

 モーニング娘。」カテゴリの記事

ハロプロ」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/123214/55680633

この記事へのトラックバック一覧です: ステーシーズ 少女再殺歌劇:

« 小田さくらさん追記 | トップページ | ステーシーズ 少女再殺全談 »